2024/04下旬

2024/04/28(日)

 正午にフェミニストクィアな友人たちとスシローで落ち合う。
 学歴と就活の話題になり、能力主義のフィルターをかけた視野で人を「評価」することがいかに自分が合わないか、ということと、貧困による体験格差で就活時代に感じていた惨めさを思い出した。
 「なんでもない日」プレゼントとして、私の大好きなパンどろぼうのマグカップを唐突にもらえて嬉しい。二人で買ってくれたそう。しかもこのパンどろぼうの顔が私の顔(「この異性愛規範に溢れた社会め」と毒づいている顔)に似ているらしい。
 あとスシローのポテトはマジで美味しい。

 友人たちとバイバイして、そのまま女同士の出会いオフ会に向かった。
 オフ会ではいくつかのトピックが用意されており、会話に困ったらそのトピックを使用してもいい、という主催者側からの案内があった。そのうちに「恋人になったら会う頻度は?」とか「同棲したいですか?」という質問があり、私の回答と他の参加者との回答に乖離があって、やっぱり意外と私はマイノリティだったんか。。。と自覚する。
 会う頻度、週に1回って、、、全然時間ないよ、、、と思ってしまう。

 帰宅後、夜に母が泣いていた。まだ祖母のことを思い返すたび、堰き止めていた涙が溢れる瞬間があるようだった。背中をさすった。
 近々出る母とのエッセイ、母にちゃんと許可を取らなければいけない。言い出すタイミングを見逃し続けている。

2024/04/29(月)

 ソロウエディングフォトのスタジオ見学と説明を聞きに行ってきた。素敵なスタジオだったけれど、見学時に異性愛表象のカップルフォトばかり並んでいて、ああやはりすごい空間だなと気圧された。想定されていない。母と姉と三人で撮りたいと思っている。撮影したら、安心して年老いて生きていける気がするのだ。自分の慰めのために、必要なことでもある。

 知り合いと、ロイヤルホストのパフェを食べた。選挙の話をした時の相手の反応を見て安心してしまい、なぜか死刑制度、ミシェル・フーコーが指摘した監獄社会について、さらに教科書検定と「慰安婦」問題までつらつらと話し始めてまった。普段堰き止めているようなことが口から次から次へと出てきて、止めどころを失った(私はマーライオン?)。
 政治的な話題について、話していいものか、いつ話すか、どう話すか、は常に手探りで、会話を綱渡りのように進めてしまう。だから、たまに安心できるような相手に出会ってしまうと、蛇口を捻ったように堰き止めていたものが口から出てきて止め処ない。途中で泣きそうになって、一瞬ウルッとなる。なぜうるんだかはわからない。
 「本当はこのことをずっと話したかったんだ」って思って泣きそうになったのか、「わかってもらいたくて悔しくて口に出している」から泣きそうだったのか、「わかってもらえるか不安」で泣きそうになったのか、わからなかった。あるいは全てかもしれない。

 近々出る母とのエッセイ、母にちゃんと許可を取らなければいけない。言い出すタイミングを逃している。今日はもう疲れたから、眠ろう。でも必ず取らねばならないのだ。

2024/04/30(火)

 ある相手のことが頭によぎって、気にかかっている。彼女は別に私のことをどうとも思っていないのだろうが、勝手に頭によぎる(それは明確な好意とはまた別の感情のようだ)。
 アロマンティックな彼女とだったらパートナーになれるかもと思うけど、きっと「恋人」にはなれないのだろう。そう思うと、きっと「恋人」でいる人たちと比べてしまいそうでこわい。結局仮に私にパートナーができたとしても、「恋」との劣等感は残存し続けるんだろう。それは私個人の内面の問題で、あくまで一人で見つめなければいけないものだ。

 恋への憧憬が人と築き上げられるであろう関係性を邪魔している。
 「恋愛」特有のあの振り回される感じが煩わしく、恋をしている自分が嫌いなくせに。最初から生ぬるければ、それに寂しさを感じて熱を欲してしまう自分がとても傲慢だ。適温って難しい。私にとっての「恋愛」の適温。私は満ち足りを望まない人間として生きているとでもいうのだろうか。

 もし仮に私に「恋人」ができたとしても、それを表明しないだろう。今まで、最も好ましく思った相手がいた時、私はパブリックにその存在を自分から言うことはなかった。けれど、そうすると世間的には「隠している」「本当に好きなの?」と思うらしい。不意にそのことを思い出して、好きであってもそれを公に表明しなければ、その好意を問われ怪しまれ訝しまれるのって、なんなんだろうと悶々としてくる。
 恋愛至上主義、というよりも、もっと適切な表現がありそう。愛情誇示主義、とか。承認や可視化、というキーワードとも結びついてきそう。

 今日は図書館の日らしいから、昼過ぎに図書館に本を返却し、夕方ジムに行って、帰宅後にまた図書館に立ち寄って、予約済みの本を受け取ってきた。

 本を受け取って家に帰宅してゆっくり読もうと思っていたが、明日はすずらんの日という日らしい。確かに、先ほどジムの近くの花屋ですずらんの花が売っていたな、と思い出し、わざわざ再度バスに乗って花屋のある駅まで花を買いにいった。帰宅後、母に花をわたした(ついでにミスドのクーポンもあったから、限定のほうじ茶なんとかポンデを買ってきた)。

 母に、ZINEを作りたいから、その内容に母の出自を書いてもいいか、と尋ねると嬉しいという回答をもらった。言うまではひどく緊張していたので、安堵した。よかった。それから母へのインタビューを二時間ほどして、原稿を書き直した。夏に出るZINEへの寄稿には一端しか載せないが、自分でつくっているZINEについては彼女の話を他にも書きたいと思う。

 母から「今からきれいにしたら相手を見つけられると思う?」と聞かれた。「たーちゃんも自由になりたいしょ、迷惑かけるわけにはいかない」、と。迷惑じゃないよといいたかった。悲しい話だった。